Kemi - ブラジル音楽の旅


by sertao
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2008年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

友人のワインハウス

「I-ne I-ne」イーネイーネと読みます。

恵比寿駅からとっても近くて、
確かなワインを出して下さる。
あくまでもワイン中心の、こだわりのあるワインハウスです。

ホームページのBGMに私の歌を使ってくれています。
聴いてみてくださいね。

http://members.jcom.home.ne.jp/icewine/icewine/
[PR]
by sertao | 2008-08-06 21:43

M とのニューヨーク

出生時の病院に、アメリカの大学病院にいくのでカルテを渡して欲しい・・といっても。
規則で渡せない、という。なんで?
他のどの病院もカルテのコピーと、丁寧に報告書までつけて渡してくれた医師までいたのに。当然あの居眠りしていた医者も半ばあわててカルテを渡してくれた。
なぜ、出生時の病院は渡さないのだろう・・・
一番大事な事実が書かれたカルテを私は取り返せずに、時間切れでニューヨークへ旅立った。

ニューヨークの郊外、ウッドストックにいる知人を訪ねて暫くそこにお世話になることになった。11月も半ば、ニューヨークの秋は深くなっていた。
市内の病院に通うには距離がありすぎる。
でも、紅葉やちらつく雪は綺麗だった。。
ウッドストックには、絵本作家や芸術家の家が多く。
エリックカールのアトリエもあった。マリエの大好きな「腹ぺこあおむし」の作者。
町全体が絵本そのもののような、マリエにとっては素晴らしい環境だった。
実際、私たちが暫く住処にした家も、日本人芸術家の別荘だった。。
グランドピアノと、マントルピース、屋根裏部屋に地下室。。
いつか見た映画に出て来たような、古くてなんとも雰囲気のある木造の家屋である。
この近辺は平和で、この数年事件はないという・・・
ポリスは1日中巡回してくれていて、逢えば気さくに声をかけてくれるような
おおらかさがあった。。
マンハッタンとは大違いだ。。

コロンビア大学の医師のアポイントの日までまだ数日ある。。
その間、私は日本からもってきたカルテと、生育暦をまとめる、
もし発達訓練などをすることになったら、と考えて、
病院まで毎日通えるように、市内のアパートの物件を探すなど、
のんびりとする暇もなく準備に勤しんでいた。
マリエは至って穏やかでマイペースに遊んでいる。
マリエは3歳になっていた。まだ歩行ができず日本からバギーのまま飛行機に乗り込み
ニューヨークでも簡単なAバキーで移動することに。
[PR]
by sertao | 2008-08-06 00:02

フサオマキザルとM 

Mとは、私の娘のマリエのこと。
原因不明の貧血。
出生後間もなくのことでした。
新生児室に並ぶ赤ちゃんの中で、際立って真っ白な赤ちゃんだったマリエ。
赤ちゃんとは、文字通り赤いお顔のはずなのに・・・
「まあ・・あの赤ちゃんは真っ白で綺麗ね〜ぇ」
と、きっとお孫さんが生まれたから見に来たおばあちゃまなんでしょう。。
その言葉は、本当だった。。
とっても綺麗な真っ白な子供だった。
おっぱいになかなか吸い付けなくて、結局人工乳の世話になることに。。
出生時のリスクもあったけれど、それだけでなく何かがおかしい・・・と思っていたら。
血小板が増えない・・輸血をすることになった。
出産後2週間たった私は先に退院することになり、マリエは新生児室の看護士さんや医師に託して自宅へ戻った。

血清の輸血・・・日赤から運ばれて来た貴重な血液。
私は、そのとき有り難い・・・と思って医師に施術を任せた。。
私はその時に立ち会うことはできなかったけれど、すべてを病院に託した。。
2回の輸血を受けて、まりえは出生後一ヶ月でやっと自宅に戻って来た。
産後の日ダチの悪かった私は、間もなく実家に移り世話になることに。。
退院して一週間たったころだろうか、マリエは高熱を出してしまった。
通常産後間もない子供は、母親から免疫を貰ってうまれてくるから、風邪などになりにくいはずなのに。。病院に電話をすると、看護士は、冷やして熱を下げてください。。
とのこと・・二〜三日後、熱がだいぶ下がってきてから、病院を訪ねる。
担当医師は、「早く連れてきてくれたら良かったのに・・・」と・・
看護士の言われたとおりしたつもりだったが・・・

今から思えば、その熱が肝炎発症のサインだったことに・・・
その時はまさか、C型肝炎のウィルスに感染しているなんて、考られるはずもなかった。

数回の検診を受けていくうちに、新生児期の反射がなかなか抜けない、首の座りの遅れ
などなど、医師が首を傾げることが多くなってきた。
発達に遅れがある・・ということが段々とはっきりして来る。。

それから、私はジプシーになる。
もちろん病院・医師のジプシーである。
国内は何カ所の病院に行ったか・・・
どこにいっても、もう少し経過観察いたしましょう。。
といわれ、まだMRIもMRAも受けられない頃、脳の中はレントゲンだけで判断。
何人目の医師だったろう、片道2時間もの道のりを、電車で通った病院の医師は、小児科医としては著名で
力のある医師だという評判だった。
すがる想いで、その医師を何回訪ねたことだろう・・・
毎回、絨毯の上に2才になってもハイハイも充分に出来ないマリエを少し遠くから
観察する医師。。
玩具に対する反応や、音や光にどう反応するのか・・・
観てくれていたのだろう。。
最後は決まって、「もうすこし経過をみましょう・・・また来月」
という医師。
でもその日は違っていた。。
いつもは大抵20分ぐらい観察に時間がかかる。
その日いつもより少し永いな・・とふっと医師に目をやると、
医師は居眠りをしていた。。
居眠りもするでしょぅ。。人間だもの・・・
しかも昼過ぎの予約時間は、そんな時間帯だ。。。
普通なら、それも仕方ないかと・・・思えた私だったかもしれない。
でも、マリエも私も往復4時間、待ち時間やその他の時間を合せたら、半日は猶にかかって通って来てるんだ。。
その日の帰りの電車の中で悔しくてずっと涙が止まらなかった。
絶対治して、おしゃべりもして、必ず歩いて遊べるようになろうね・・

喃語も出ないマリエは、なぜなんだろう・・・
その頃出会ったのが、言語を研究する、カルフォルニアの大学の霊長類研究所。
ボノボという類人猿のカンジというサルくん。
彼の研究を観ては、マリエの脳の中がどうなっているのか、常に考えていた。。
早く、早く知りたかった。。
マリエ3歳のとき。まだ歩けないマリエをバギーに乗せて、
私はニューユーク行きの飛行機にのっていた。
コロンビア大学の病院の小児科医を訪ねるためだ。

以来、ボノボのカンジや猿君たちの発達とマリエの発達を願うことは、
私の中には同時進行していったのです。

フサオマキザルの二足歩行は、大脳の発達を急速に促すもの。
人間が歩行するということが、何れだけ大事なことなのか、
猿君たち・・・頼みます!!
[PR]
by sertao | 2008-08-04 19:29